数々の称賛に彩られた
パテック フィリップの歴史

アントワーヌ・ノルベール・ド・パテック(右)と時計師ジャン・アドリアン・フィリップ(左)。彼らふたりの才能が融合することで、パテック フィリップはスイスのみならず世界の時計界の頂点に立つ時計メゾンとしての地位を獲得するに至った。

 1839年、スイス・ジュネーブにおいてアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックとフランソワ・チャペックが時計工房「パテック チャペック社」を設立。やがてチャペックは工房を離れ、1844年、パテックはリューズによるゼンマイの巻上げと時刻合わせ機構を発明した非凡な時計師ジャン・アドリアン・フィリップと出会い、彼を新パートナーとして迎えることとなった。やがて1851年、工房はふたりの名にちなみ「パテック, フィリップ社」と改名され、時計の歴史を塗り替える画期的な製品を次々に生み出していったのである。
 1851年の第一回ロンドン万国博覧会ではパテック フィリップのリューズ巻上げ式懐中時計が高い評価を獲得。1867年のパリ万博では複雑時計を出品した。
 また1868年には、ハンガリーのコスコヴィッチ伯爵夫人のためにスイスで最初の腕時計を製作。これは20世紀になって急速に発展、普及することになる腕時計の未来を予見する開発となった。
 さらにパテック フィリップはヨーロッパ以外の新市場開拓にも力を入れ、19世紀の終わりごろからは、南北アメリカや中国などで事業を展開。その名を全世界に広めたのだ。
 こうして時計界の頂点に達したパテック フィリップには、世界各国から王族や貴族、文化人や著名人が訪れ、その顧客となり、さらにその名声を高めたのである。

  • 1844年、アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは、リューズによるゼンマイ巻上げと時刻合わせの機構を発明したジャン・アドリアン・フィリップと出会う。彼の発明は、鍵でゼンマイを巻きリューズで針を合わせる従来の時計を大改革し、その後のスタンダードな機構になった。
  • 1868年、パテック フィリップは、ハンガリーのコスコヴィッチ伯爵夫人のためにスイス最初の腕時計を製作した。優雅な金細工と宝飾セッティングに彩られた、この腕時計は、蓋付きのブレスレット・スタイル。必要に応じて蓋を開けて時刻を確認することができた。
  • 1932年に発表された「カラトラバ Ref.96」こそ、パテック フィリップが生み出した不変の名作。ラウンド型ケースとホワイトの文字盤のスモールセコンド、ドフィーヌ型針とペンシルを思わせる立体的なバーインデックスが時計の古典美を伝える。
  • 1976年、パテック フィリップ初のステンレススチール製スポーツウォッチ「ノーチラス Ref.3700/1」が誕生。このモデルは薄型ながら12気圧の防水性を実現。“ウェットスーツにもディナースーツにも似合う時計”として、現在のラグジュアリースポーツ・ウォッチの分野を牽引する存在となった。


 1996年に、ジュネーブ郊外プラン・レ・ワットにパテック フィリップの新しい本社工場が完成した。この本社工場は、時計の設計から製造、検査などを行うマニュファクチュール(一貫生産工場)であることはもちろん、マーケティングや広報に至るまで、パテック フィリップの全活動が統合された中枢施設である。
 さらに2020年初頭、パテック フィリップは2015年に新たに開始されたジュネーブ郊外プラン・レ・ワットにおける新工場建設工事を完了させた。これはパテック フィリップのジュネーブ・マニュファクチュールのすべての事業活動をひとつの屋根の下の統合し、さらに希少なハンドクラフトの専門家と、次世代を担う新たなスタッフを養成するための基本的かつ高度なトレーニングに必要なスペースも含まれている。
 すべてを統合したこの新工場は、最上階に880人が収容可能なレストランと4つのVIPラウンジ、5フロアの制作部門、4フロアの地下という合計10のフロアによって構成され、総床面積は133,650平方メートルという大規模なもの。駐車場は約600台分の面積を保有している。
 そして、この新工場の落成を記念し、パテック フィリップは自社製造による自動巻きムーブメントであるCal.324 S Cを搭載するステンレススチール仕様の「カラトラバ 6007A」が1000個の限定で発売し、新たな時代のスタートを祝賀したのである。

世界最高峰のウォッチ・メゾン 唯一無二のパテック フィリップ